創造とは、まったく新しい価値を創り出すこと。
新しい価値は、ときに、今ある仕事や産業のあり方を大きく変える。それは「破壊的」イノベーションとも呼ばれ、人は築いてきたものが揺らぐとき、変化を恐れる。
鉄道が広がるにつれ、長距離馬車の御者や宿場で働く人々のなかには、仕事を失う人もいた。昨日まで人に頼られていた仕事で、明日も家族を養えるとは限らない。その不安は、いまを生きる私たちにもわかる。

一方で、その鉄道に乗って、新しい暮らしを始めた人々もいた。故郷の駅で家族に見送られ、地元にはない学校へ進み、やがて遠くの町で職に就く。そして、初めての給料を家族に送る。町の商店もまた、貨車に商品を託すことで、それまで縁のなかった土地に客を持てるようになった。遠くの町が、自分や家族の暮らしを支える場所になっていった。
インターネットでニュースを読む人が増えるなかで、新聞を印刷し、家々に届ける仕事は減っていった。販売店の閉鎖によって、毎朝新聞を届け、その仕事で家族を養ってきた人が、働く場所を失うこともあった。

一方で、そのインターネットは、暮らす場所を変えずに、遠くの人と働ける道も開いた。仕事のために故郷を出ることが難しくても、身につけた知識や技術を、町の外で必要とする人に届けられるようになった。
たとえば、親の介護で故郷に戻った人が、都市の企業からウェブ制作を請け負う。画面越しに打ち合わせを重ね、自宅から仕事を届け、その報酬で家族との暮らしを支える。家族のそばにいるために、積み重ねてきた仕事まで手放さなくていい。そんな働き方も、自分で選べるようになった。
失われる仕事には、すでに名前がある。まだ生まれていない仕事には、名前さえない。だから、変化によって失うものは見えやすく、創造を止めることで失う可能性は見えにくい。
確かに、新しい仕事が生まれたからといって、仕事を失った人の痛みが消えるわけではない。それでも、今ある産業の形を守るために、未来の人々の選択肢まで閉ざしていいのか。
だから私たちは、創造を止めない。
築いてきたものを手放す痛みも、変える責任も引き受ける。
計り知れない価値になるまで、つくり抜く。
その先に、より大きな"感動"があることを信じて。
壊せ、生み出せ。
職人であれ。